年末のひとりごと 2013年12月

年を重ねると1年がすぐ終わります。また年末が来てお正月です。それだけのことですが・・・。
年末になると今年1年をふりかえる番組が多くなります。私の今年1年は、目の前にある自分で敷いた線路を確実に走った1年でした。予定していたことはほとんど実行でき、静かに動いた感じがします。
私と関わってくださっている方に、鏡の役をさせていただいているだけに歪んでしまっては機能しません。これが、私の仕付け糸になり、私にバランス感覚を意識することを心に留めさせています。
今年は、インプロと心と脳のワークショップが新しいメニューに入りました。童夢がスタートして、35年、ふれあいグループが25年、そしてチャプター10年と区切りの年でしたが、淡々と行動できたことが自分なりには評価できることでした。また来年1年どんな出来事に遭遇するか分かりませんが、「ゆるがず、とらわれず、心穏やかに」また学んでいきましょう。
今年も1年ありがとうございました。みなさん良いお年をお迎えください。

「待つ」ということがしにくくなって・・・2013年11月

11月になりました。秋も深まり初冬を迎えようとしています。時代は、めまぐるしく変化し、1か月前に起きたことも思い出せないほどです。なぜこんなに物事の変化のスピードが早いのでしょうか。

古い話ですが、1964年に東京オリンピックが開催された時、東京オリンピックに向けてつくられた歌に「海をこえて友よきたれ」という歌がありました。その中の歌詞に「より速く、より高く、より強く」というフレーズがあります。初めの「より速く」の代名詞が新幹線でした。「速いことはいいこと」という思いは、日本中に広がり、新幹線は日本全国に広がり、そして今なお、新幹線網は、私達の札幌まで広がろうとしています。「早いことはいいこと」という、定説は、私達日本人には生き続けています。いたるところで母親が子供に「早くしなさい。しないと、おいていくよ」という光景はよく目にします。学校でも「早く集合して」と先生の大きな声。食べ物でもスーパーに行くと早く食事ができる食材が売られています。最近は、これからよく食卓にならぶ鍋物の汁が、数多くの種類が売られています。冷凍食品も電子レンジで温めるだけでおいしいものがすぐできます。このような習慣が日常化すると、「待つ」ということがしにくくなります。

私は、25年ぐらいまえに飛行機メーカーのボーイング社に見学に行ったことがありました。飛行機の製作過程を面白く見学していて、ニューヨーク行きの飛行機に間に合わないのでキャンセルしようと思い、当時は携帯がありませんので、公衆電話を探してかけようとしましたが、2台しか公衆電話がなく、行列ができていました。1日に何千人の人が訪れるボーイング社なのに、なぜこんなに公衆電話が少ないんだろうと思ったことがありました。その当時の日本では、公衆電話がいたるところにあり、電話をかけることに不自由を感じることがなかっただけに「待つ」苦痛を味わったことを思い出しました。その時は「便利さは、せっかちさを生む」と思っていましたが、今考えると、同時に早く自分の問題を解決したい気持ちが働いていたように思います。

時代はどんどん便利になり、いまだに「より早く」を追求しています。しかし、速さを追求はしていますが、仕事の忙しさは以前より増しているのではないでしょうか。便利さは、次の便利さの追求の始まりです。より早く、短時間でものごとを処理することが緊急なことを除けばそんなに必要なことなのかと思うように私はなってきました。
これが、年を重ねたことなのでしょうか。以前の交通標語に「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」の心境になってきた今日この頃です。これを「気持ちの余裕と言う」か、「気持ちが枯れてきた」と言うかは、捉え方ではありますが・・・。どちらにしても、年老いて行けば、早くすることは、肉体的にはできなくなるわけで、早くと言う気持ちは、「若い」証拠でもあるのでしょうか?

私は、性格的に「せっかち」です。地下鉄を待つのも嫌な方です。そんなにばたばたしないで落ちついて行動すればと私に言う人がいます。それは頭では十分知っておりますが、まだまだ、身体は分からないようで、素早く行動する方をとっている私です。そして、それが出来なくなった時に、私の人生に一区切りがつく時だと思っています。

人との関係を大事に、気持ち良く過ごす自分の生き方を見つけながら  2013年9月

秋らしい気候になってきました。暑い夏ともお別れし実りの秋です。これも自然からの恵です。自然は、私達を快適に過ごさせてくれる反面、地震や台風をはじめとする災害を人間にもたらします。私達は、自然から受ける恩恵は、それほど有難いと思わず、むしろ当たり前に感じて生きているのではないでしょうか。しかし、反対に私達に被害を与える自然には、困るだけにみんな、用心します。異常気象が続いています。これは、自然が変ったのではなく、私達人間が、地球環境を壊す行為から発生したものです。

原発事故前は、地球温暖化が日本でも問題になりました。しかし、今は定期検査の原発を含め日本の原発は一つも動いていません。火力発電を中心に日本の電力は賄われています。地球温暖化や自然破壊の観点からは問題ですが、原発問題の影に隠れてしまいました。私達人間は、自分の都合のいい方に動きがちです。それぞれ、自分の都合のいい論法で、ものごとを進めようとします。同時にそのつけが私達に返ってきます。「日本の原発は安全である。」と信じた人が多かった日本。しかし、このような大事故を起こし、その処理方法も分からないことが分かれば「原発いらない」の大合唱。仕方がないとは言え火力発電中心のエネルギーが石油であるだけに、今度は電気代の値上げ。値上げによって困る人が、多くいるのも現状。風力や太陽エネルギーをはじめとする自然代替エネルギーの開発が急がれていますが、私達の都合のいいことばかりなのでしょうか。

2020年のオリンピックが東京に決まり、喜んでいる人の報道がマスコミをにぎわしていましたが、何がオリンピック開催決定で私達にとって都合が良いのか冷静に考える必要があります。都合の良い面があることは、マイナス面も必ずあることです。

秋になり、これからいくつか台風がやってきます。毎年、土砂災害や水害が起き、悲しむ人が出ます。雨が降ることで、水不足が解消されます。自然災害によって、今までの生活が一変する人もいます。災害が起きたことで、復興の仕事ができて喜ぶ人もいます。このように、どこに光をあてるかで物事が変って見えるのが私達の社会です。震災で被災した方から聞いたのですが、「被災してみて、人間は明日をもわからないのだ」と実感したと話していましたが、自分の身に、とんでもないことが起きないと実感できないことでもあるのでしょう。これが、人間の弱さ(?)はかなさ(?)なのでしょうか。現実に起きているのに「人ごと」「他人事」になってしまいます。頭で知っているだけでもいい。自分に起きたことだけが、実感できることです。このことは、肝に銘じたいと思います。「私の人生で遭遇する出来事は、私にしか実感できない」し、「他者が遭遇する出来事は、他者にしか実感できない」ことです。そのことを踏まえて人と接することは、大事なことです。だから、人は孤独も感じるのでしょう。だから、人と一緒に活動したいのでしょう。そして、人と一緒に活動することに喜びもあるのでしょう。

人は一人ひとり異なっています。当たり前のことですが、自分と同じ考え方をする人を好みます。同じ趣味を持っているだけで親近感もわきます。共通項があればつながりやすいのも人間です。相反するものには反発する傾向にあるのも人間です。ものごとどちらに進んでも一長一短です。しかし、自分の都合のいいことを好むのも人間です。今生きているこの社会で、どこからものごとを見ているか、よく捉え、人との関係を大事に、気持ち良く過ごす自分の生き方を見つけながら、楽しく暮らしたいものです。

現状から前へ進む道を探れる力を 2013年8月

暑い夏から確実に秋に向って季節が移り変ろうとしている北海道です。天候は、人の行動に大きな影響を与えます。先日テレビを見ていると釧路が涼しさを全国にアピールし、避暑地として注目を集めてると言うニュースを見ました。これだけ暑いと、涼しさは、経済と結びつき、夏だけ定住する人やスポーツ関係の合宿誘致や観光に大きな力を発揮します。この天候はこれからも続くのでしょうか。自然界に異変が起きたのでしょうか。それとも私達人間が自然破壊をし、異変を起こしてしまったのでしょうか。

地球温暖化を防止しようという動きは世界各国の話題だった時もありましたが、いつの間にか言われなくなりました。特に日本は福島の原子力発電所の事故の影響で火力発電が見直され、原発の停止以来、この地球温暖化の問題はとん挫した状態です。このエネルギーの問題は、原子力から自然エネルギーへの転換を迫られています。人間は、困らないと変革を求めないのでしょうか。困って初めて問題に取り組むことがほとんどでしょう。少子高齢化と言われたのは最近ではありません。1980年代から言われていたことです。しかし、誰も自分の問題として捉えることはありませんでした。政治も少子化に伴い人口の減少や高齢化が社会問題になって初めて施策を考え始めました。

人間、自分にとって都合が悪いことが起きてから自分の問題を考えると悪いことしか浮かびません。原発の問題も、安全神話がある時は、事故対策については何も考えていなかったと言ってよいほど、今も事故対策の遅れが露呈しています。汚染水が今、海に流れ出していることが発覚しました。海を汚染してしまえば現状回復にどのぐらいの年月がかかるのでしょうか。どれほどの人の生活に多大な被害を与えることになるのでしょうか。原発は値段が安く電力を安定供給出来るものとしてやってきたことが、真逆であったことを皮肉にも実証してしまいました。目先の利益は、まやかしなのかもしれません。

私達は、けっこうこのまやかしに引っ掛かることが多く、お金(利殖)による詐欺に引っ掛かるひとの数が多いこと。「欲に魅せられて、儲け話に乗って結果的に損をする」。昔からある話に、懲りない人がこんなにいるとは・・・。自分はそんな手にはのらないと思っていても、振り込め詐欺は依然多い現状です。この動きも、根本は私達の心の問題です。どこかで得をしようと言う思いが、顔を出します。
普段から気づかないところで心の底にあるものが顔を出すのでしょうね。欲望の顔に気づかずに行動していることに私達は気づかないことが多く見られます。

これから日本社会はどのように変って行くでしょうか。変化しない社会はありません。変化しない人生もありません。人間の世界は変化することが自然です。自然は、ありのままの状態です。変化は好むと好まざると関係なしに起こることです。この変化は、自分の都合によって、「喜ばしいことになったり、困ったことになったり」と自分の都合できまります。日本には、豪雨による水害で困っている地域もあれば、水不足で困っている地域もあります。こんな狭い日本の中でも自然は異なった現象を起こします。今おかれた現状をしっかり受け入れ、否定するのではなくこの現状を理解して、現状から前へ進む道を探れる力を私達は養いたいと思います。

どのように「自分磨き」をするか 2013年5月

毎年今頃は、桜が満開でお花見の話もできる頃ですが、今年は、桜のつぼみも開いていません。寒い寒い春です。これも異常気象の現れでしょうか。しかし、自然も変化し、いつもの年とは異なる気象になることも自然なのかもしれません。私達は、いつも起こることを普通、あるいは当たり前としています。元気であれば、明日が来ることを疑うことはありません。しかし、明日がくる保証はどこにもありません。東日本大震災の被災地に行くと、突然やってきた震災と津波。まさか、自分がその日で死ぬとは思いもしないうちに亡くなった方々がほとんどだったことでしょう。私達は、震災で被害をこうむることなく今日も元気に生きています。折角生かしてもらっていることに感謝して、今日も命を大切に生活したいものです。

命と言えば、先日私は62歳の誕生日を迎えることができました。人生80年と言われる時代ですから、まだまだ平均寿命には、年数がありますが、「物」であればかなりの年代物です。「これ、62年前に作られたものだよ」と言えば「かなり古いものだね」と言葉が出てきます。今の時代、変化が早く、昭和のものを見ると懐かしいねと言う時代です。私が子供の時、「明治は遠くなりにけり」という言葉がありましたが、この言葉は、今では、「昭和は遠くになりにけり」に変ってきました。命は、ただ生きているだけではなく、時代の変化を感じながら過ごす原動力です。それだけに、どのように生きるか、それは一人ひとりに任されています。

私達は、様々な境遇の中で自分の人生を生きています。自分一人では生きられません。多くの方々に支えられて私達の生活は成り立っています。そんなこと言われなくても分かっていると言う人もいるでしょうが、実感するには、自分の人生をどのように生きているかで大きく異なります。極端な例でいえば、泥棒する人に人への感謝はないでしょう。「みなさんがいてくれたので泥棒することができました」なんって言う話はありません。「皆さんがいてくれたので、私は、ここまでこれました」と自分の人生をふりかえることはできます。

今日まで生きて来れたことに感謝し、これからの人生をおもっきり生きるために、どのように「自分磨き」をするか、それが「自分の人生」になることを強く感じます。そのためにも、1分でも1秒でも長く楽しいと思える時間を持ち、人様に少しでもお役に立てる働きをし、人と五分五分の関係(相互支援できる人間関係・相互に活かし合う関係)で生活すること、即ち私流の「生き儲け」をすることが、私の生活基盤であることを改めて強く感じている私です。

学び豊かな人生を一緒

につくっていきましょう 2013年4月

新年度が始まりました。何か気持ちがあらたまります。私の場合まだ学校で授業をしていたり、研修で新人研修をしていることも影響があるのだと思います。私達のふれあいグループも今月で25周年目に入ります。この25年、多くの方に参加していただき、1度も穴を空けることなく継続することができました。

「継続は力なり」です。私は、ふれあいグループを継続してきたことからこのグループの存在意義を感じたり、グループの方法に気づいたり、グループをしながら新しいエクササイズが生まれたりと、参加者のみなさんのお陰で私なりに成長できたのかなと思います。グループは、参加者同士の関わり合いと”ふれあいグループ”であればエクササイズが化学反応のように混ざり合い、溶け合って、気づきが生まれ、発見があります。

この魅力は、私が継続して行ってこれた原動力の一つだと思います。この先何年できるか分かりませんが、1回1回のグループを大事に、今後も確かな歩みをして行きたいと思います。良かったら今後も参加してください。今日のふれあいグループに行こうか、行くまいか迷ったらきてください。決して損はさせませんから。

さて、4月。プロ野球も開幕しました。雪の多い札幌ですが、雪解けを見ると、確実に春は近づいています。しかし、この春は、外に目を転じると北朝鮮の不穏なメッセージが毎日送られてきます。国内は、アベノミックス効果で株価が上がり、景気が良くなるのではと、期待感を持つ人が増えて来たような報道がなされています。どれも実態も良く分からないものです。私達は実態の良く分からないものに、気がいきます。

この先どうなるのか分からなければ不安になります。北朝鮮の問題も、核武装した北朝鮮なのか、それとも脅しなのか、アメリカに認められたいが故の行動と言われますが、何一つ確かでないだけに不安です。安部内閣になり、景気が良くなるようにと施策が打たれていますが、はっきり変ったのは、円安になり、株価が上がったこと、そ
して、ものの値段が上がって庶民は余計な負担を強いられる状態です。この先サラリーマンの給料は上がることが前提の施策ですが、その答えが庶民に届くのはまだ先のことです。どちらも不確かなことです。

人生、不確かなことが多く、自分にとって都合の悪いことが起きます。なぜなら自分の基準で社会はできていないからです。ですから、自分の都合の良いことが起きたら感謝です。みなさんは、ここまでの自分の人生は、都合のいいことが多く起きたでしょうか。それとも不都合なことが多いここまでの人生だったでしょうか。どちらの答
えでも自分の人生です。どのように歩むか即ち何を思って生きているかによって自分の人生は大きく変ります。
今の自分をどのように思っているかで自分の人生は大きく変ります。今、自分が置かれている環境をどのように捉えているかで自分の人生は大きく変わります。今、自分はどんな人と関わりを持って生きているかで自分の人生は大きく変ります。人生のターニングポイントは数多くあり、そのポイントに気づけるかで人生は大きく変ると思
います。

今の自分、今いるところ、今出会っている人々、今自分の身に起きている出来事に内容には関係なく大事に、そして直面し、一つひとつのことをしっかり受け入れ、理解し、行動することで乗り越えて行く力を私達一人ひとりは、持ちたいものです。そのためにも私達は学んでいく必要があると思います。これからも学び豊かな人生を一緒
につくっていきましょう。

今あなたはどんな役割をもっていますか 2013年3月

3月と聞くと春を感じる時期になってきました。学校や官庁などは、年度末を迎え、ひとつの区切りの時期です。ふれあいグループは、平成元年の4月から始めましたので、ちょうど今年で25年目になります。今年は、2月、4月、6月、8月、10月そして、12月にふれあいグループの時間以外の日に、特別ワークショップを少人数で行おうと企画し、2月から始めました。
2月は、即興劇のワークショップを行いました。ここまで35年に渡って、私なりに学んだことを、整理して分かりやすく体験学習を通して学ぶ機会を、一緒に持てたらと願っております。私が今特に興味・関心があるのが役割に没入するフロー体験です。

世の中どんなに不況であっても、利益を上げている経営者。何度も困難なことがあっても立ち向かっていく人。不幸な出来事に遭遇しても、明るく前向きに生きる人。このような人たちは、今自分が直面している現実をしっかり受け止め、自分の力をよくわきまえながら自分ができることをこつこつ日々行動する人です。
それは、自分の役割に徹して、今を大事に過ごす人でもあります。生きているのは今です。今の連続が未来です。この積み重ねが人生に大きな違いを生み出す要素のうちの一つだと思います。

大学で学生と話しをしていて、自分が将来なりたい職業がはっきりしていない学生の多いことに驚かされます。受験の時に将来を見越して学科を専攻したのではなく、入学できる可能性があるからそこを選んだという学生が多くいます。好景気の時はそれでも仕事がありましたので生きて行くことはできましたが、今はそうは行きません。正規社員になることが難しい社会です。派遣社員・契約社員・アルバイトと雇用形態を、雇用主が自由に選択できる時代です。

私は、このような雇用形態には、問題があると思いますが、「人生いろいろ、働き方もいろいろあっていい」という当時の小泉総理大臣の規制緩和の考えから行った制度です。これが、人間を道具のように扱う制度になってしまいました。社会でまじめに働いていて、生活に困窮する社会であってはなりません。制度を動かすのは人間です。人間の心の状態が問題を引き起こしているだけであると言う人もいます。

今の現状を踏まえると子供の時からキャリア教育の必要な時代に入ったと思います。私の子供の時は、日本がこれから希望を持って、発展していく高度経済成長期に入る時でしたので、子供に、「何になりたいの?」と聞くとすぐ職業が出てきました。「おまわりさん、保母さん、花屋さん、パイロット」など、多くの子供がすぐ答えられたものです。今は、物質的豊かさも手伝って、将来まで考える子供は少なくなっているのでしょう。私達大人もこの不況下にあって、景気の良い時代を知っているだけに苦しさを感じる人も多くいます。

今、自分の立ち位置をしっかり捉え可能なことを明確にし、どんな役割を自分が担うかを捉え、生活することで、生きがいや生活の張りが生まれてきます。

「今あなたはどんな役割をもっていますか?」「自分の役割を喜んでしていますか?」「これから新しい役割を持つとしたらどんな役割を持ちたいですか?」。ちょっと考えてみてください。そして、今ここから新しく希望をもって生きて行くスタートラインにしていきましょう。

人間関係は「一期一会の関わり合い」 2013年2月

2月になり、プロ野球はキャンプに入りました。北海道はこれから2月の厳しい寒い時期を迎えます。今、厳しい寒い時期と書きましたが、北海道は、寒いことで恩恵を得ています。今の時期冷凍庫を使わずして食べ物の保存は外に出しておくことで可能です。冬だから雪や氷の祭典、スキー、スケート、スノーボードができます。私達が日々、目にふれる目の前の出来事は、私達の都合で良し悪しが決まります。円安になり、株価も上昇したと喜んでいる人もいれば、ガソリンや灯油が値上がりして困る人も多くいます。

ガソリンや燃料費の値上がりは、他の食品を初め、生活必需品に影響を与えます。景気を良くすること、デフレ脱却が私達の生活を豊かにすることだと政府は経済再生を掲げています。経済は私達の生活の重要部分を占めています。しかし、自分達に都合のいいことばかり起きるわけではありません。何事も一長一短です。

景気を良くするためには、みんながお金を安心して使うことが不可欠ですが、今の社会で確実にお給料が上がり、安定した収入が期待できれば別ですが、先の不安を感じている人は、お財布のひもは固いでしょう。先行きは明るいし、今後の見通しが立ち、信じられる人はお金を安心して使えるでしょう。経済も「人が何を思うか」に大きく左右されます。「人の思い」それは、目には見えませんが、社会を形作っている大きな要因です。

昨今、体罰問題が大きく取り上げられています。体罰は、私の子供のころからありました。今でもはっきり覚えています。小学校2年生の時、クラスメイトの一人は、いつも、言うことを聞かないと言って「怒られは、みんなの前で叩かれるは、」「バケツを持って立たされるは、」と、私はあのシーンになると吐き気がしていました。
今考えても体罰ではなく暴力です。しかし、私の子供のころは、先生はどこか尊敬されていて、先生の愛の鞭なんだと取る人が多く、社会問題にはなりませんでした。その怒られていた友人も「あのころよく俺は怒られてたな―」と懐かしんでいました。

今は、叩いたことを「行きすぎた指導」と称していますが、私から見ると「指導力の欠如」というか「指導法を学ばずに指導者という権力者」になり、勘違いしてしまっている状態だと見ています。「教育は心でするもの」であり、指導者が日々研鑽を積むことが求められます。この日々の研鑽が選手一人ひとりの能力と可能性を引き出します。

暴力、脅しで人は育ちません。怖がらせて、萎縮することはあっても人が育つことはありません。人にはそれぞれ能力の差があります。考え方も違いがあります。それは、スポーツにおいても同じ選手一人ひとりの能力に差があります。平等にするために、慶応大学を創設した福沢諭吉は、「学ばなければ、平等な人生は歩めない」と言っています。監督が指導者としてコーチング力を持ち、監督として研鑽をつまないで日々現場に出て指導し、思うように行かないと選手が悪くなり、自分の指導法に目が行かなくなります。

スポーツは、ルールがあって初めてスポーツです。例えば、ボクシングでルールがなかったら殴り合いのケンカでしょう。ルールや約束事がなければ暴力です。ルールや約束事があって行うからスポーツなのです。監督と選手は暴力団の組長と組員の関係ではありません。

運動部に、「しごきだ」、「気合いを入れるため」に平手打ちだと言う人がいます。アントニオ猪木に気合いを入れてもらうために顔にビンタして下さいと言う人がいます。好きで志願しているのは勝手ですが、練習でミスしたり、試合に負けたからと言って体罰という罰を受けることを冷静に考えればおかしなことです。練習中にミスしたと言って罰せられたり、試合に負けて処罰されるなんってバカげたことであり、スポーツとは呼びません。

学校の部活にしてもオリンピックにしても試合で活躍すると、その後の人生は、次のステージ(生徒・学生は進路ーー大学・就職)に多大な影響があり、オリンピックではメダリストと言われ称賛されます。これは、選手だけではなく監督、コーチも社会的に認められます。今後は、監督、コーチがきちんと教育を受け、自分たちの行っているスポーツの意味をしっかり捉え、理解してその競技に関わることが重要であり、コミュニケーション力の不足は暴力への道をつくって行くことを今回は学びました。手前味噌になりますが、こんなところにもコーチングコミュニケーションが必要です。

人は「自分の思い」で人生をつくります。人に左右されて生きている人はいますが、あくまでもその人が「自覚している」、「いない」に関わらずその人の人生がつくられていきます。

先日、私事ですが、北見にいる一人暮らしの叔母の体調が悪く、一緒に病院に行ってきました。検査結果も一緒に聞きましたが、担当の医師は、高齢者の叔母の話はほとんど聞かず、一方的に話し、どこか叔母をバカにしている感じでした。(説明しても分からないだろうと言う態度に私は感じましたが、) しかし、私が質問することは医者は、きちんと答えます。診察の最後には、叔母に「まだ、患者さんが待っています。○○さんの話を聞く時間はないんだよ」と言いました。病状に不安な叔母が言うことを遮り、診察は終了しました。
私は、知り合いの札幌の病院で再度診てもらえばと思いますが、高齢の叔母は北見にいたいと言います。除雪の問題、食事の問題、寒い北見の冬の生活を考えると2月だけでも札幌に出てきたらと私は思いますが、叔母は「北見でがんばる」と言います。生活が完全にできない状態であれば話は別ですが、今は叔母の意思を尊重することが今の私の道だと思いながら札幌に戻ってきました。

「人の思い」、これは人生を形作り、その人の人生そのものへと年月が経つに連れて見えてきます。「自分の思い」なのだから自分でコントロールできそうですが、なかなかそうはいきません。人間関係も、「自分の思い」、「相手の思い」が絡み合ってつくられます。自分が自分をどう思い、その自分を通して他者をどのように思うかは一瞬の何かの力が働き常に変化します。
今まで仲が良かったのに、一瞬で関係が変化することがあります。当然逆もありえます。嫌な人だと思っていた人と、ある出来事をきっかけに「いい人」と思うようになり、関係が変化することもあります。人間関係は、「一期一会の関わり合い」です。それだけに、今が大切です。今しか私達は生きられません。今の連続が未来です。過去を積み重ねて今にたどり着きました。今を充実させ、今、全力に生きることが、私達一人ひとりの人生をつくるのだと思います。

今から未来に向かってどのように過ごすかは私達一人ひとりの思いが決めて行くことだけは間違いありません。今を起点にあなたはどんな人生をつくりだしますか?私は、これからも「生き儲け」(一分でも1秒でも楽しいと思える人生)を楽しみながら人生をつくっていきます。

今日もこの時間に”ひとりごと”を書く時間を得て”生き儲け”ができました。
ありがとうございました。感謝。


2013年を迎えて・・・ 2013年1月

2013年がスタートしました。毎年年の初めに「今年はどんな年にしたいですか。]あるいは、「どんなことをしたいですか。」と言う質問が飛び交います。
みなさんは、いかがでしょうか。私は、いつもの年と違って、気持ちがあらたまりませんでした。12月からまた1月になった感じです。

60歳を過ぎ、今与えられていることを確実にさせていただくこと、そして健康でいることがまず1番にきます。これは決して守りに入っているのではありません。友人からは「宮崎は60を過ぎてもまだ仕事に熱い気持ちがあるけれど、よくそんなに熱い気持ちで仕事ができるね。」と言われます。
私は熱い気持ちがあるから私の与えられていること(仕事)ができると思っています。
その点で言えば、今年は「頼まれ仕事(活動)」から「オリジナルの活動」(自分で企画を立てて行う活動)に移行していこうと思っています。

私がこの童夢教育研究所を始めて今年で35年になります。”童夢ふれあいグループ”を始めて25年と節目の年を迎えました。本当に多くの人に支えていただき、人に恵まれて活動をし続けてこられたことに感謝の気持ちで一杯です。あと、私に残された時間はどのぐらいあるか分かりませんが、今、自分ができること、そして、可能性に満ちた自分を信じて活動でき、人の役に立ち、自分も成長することに取り組んで行きたいと思います。

その一つに2月に、「気楽体」という気功のワークショップを行う計画を立てております。この先、偶数月にワークショップを企画する予定にしています。
私の特徴ですが、多人数でグループ活動をするより、少人数で確かなことをすることを好みます。100人以上の研修会やグループ活動も体験してきました。それはそれで、心に残るものはありますが、この先は、確かなこと、歩みは小さくても、実感できるものにチャレンジしたいと思います。
そのためにも、自分の中は豊かにしたいと思います。人間、一生勉強です。これは昔
から言われています。子供のころ祖父からこの言葉を聞かされた時は、嫌だなと思っていました。「面白くもない勉強を一生するのかと思ったら・・・・」

しかし、幸いなことに私は、させられる勉強は嫌いでしたが、自分から学習することは好きだったので今も学ぶ意欲が落ちないのだと思います。そのことを思うと私が今関わっている学生が気がかりになります。
私は、今大学2校、看護学校3校で授業をしています。最近、強く感じるのは、学校で学ぶことより、資格を取るため、単位を取るための授業になりつつあることです。
学んで単位を取るのではなく、単位をとらなければ、資格が取れないので、単位が取れるように勉強する。あるいは、出席する傾向が強くなってきているように思います。
「授業は楽しいけれど、出るのがめんどくさくなる」とある学生は言いました。またある学生は、「実習に行くのは単位を取るためです。単位を取って卒業して国家試験に受からなければ仕事ができないのですから」と・・・・。これを批判しても始まりません。

それではなぜこのようなことが起きているのでしょうか。私なりに考えてみました。それは、小さい時から外発的動機づけ(自分の外側からの刺激によって意欲を引き出すこと。成果に対する評価や報酬、あるいは称賛や罰則などがこれにあたります。)で育ってきて、内発的動機づけ(自分の内面から意欲がわきあがること)で育っていないので条件付け動機での行動になっているように思います。

これは、学生だけではなく社会全体がこの動きになっているように考えます。今、日本はこの先のビジョンがありません。目先の経済に目が行き、日本がこれからどんな国になろうとしているかは見えません。だから、過去と比較して、経済的に苦しいので経済優先の施策がまた自民党政府が行おうとしています。「経済的に裕福なこと」これも幸福の一つでしょうが、全てではありません。

明日の生活がままならないことは不幸なことであり、改善する必要はありますが、これも偏りがあってはなりません。私達の生活が物質的豊かさを子供の時から求め、歩んできました。これは、常に物質文明が発展していなければ満足することはありません。しかし、地球がこのまま物質文明を発展させて、もつのでしょうか?異常気象と言われて久しいものがあります。

日本でも地球の温暖化問題が重要課題になりましたが、震災以後これはいっぺんしてしまい、地球温暖化の問題は、どこへ行ったのでしょうか。今は電力をどのように確保するかで一杯です。先が不透明なのだから仕方がないと言う人もいます。

今私達が置かれている状況の中でどの方向に向かい何をする必要があり、何がしたいことなのか、忘れずに希望を持って生活できる自分をつくることが大切だと私は思います。

「生き儲け」ができる行動を・・・ 2012年12月

今日は12月29日です。冬休みをいただいて、気持ちがゆるみ風邪をひき、ひとりごとを書くのが遅くなりました。
1年1年、時の経つのが早く感じます。毎年のことですが、今年も研修で多くの方と出会い、中には継続してご縁を持つことができるようになった方もいます。人生、出会いと別れがつきものですが、出会うのは嬉しいのですが、何歳になっても別れはつらいものです。特に大切に思っている方が亡くなったり、仲良くしていた方が引退して隠居生活に入
ってしまったり、年齢からくる別れはきついものがあります。
私も人のことは言えません。今年も多くの方に支えていただき、無事に1年を過ごすことができました。私の場合、人と関わる活動をしていますので、人がいてくれなければ私は活かされません。幸い、私を支持して下さる方が多くいらっしゃるので、有難いことだと感謝しております。
日本の社会は変革期を迎えています。社会格差もひろがり、毎日楽に生活している人もいれば、明日の生活に不安を感じている方もいます。
私達の生活は、どのように過ごしてきたかで今の生活が決まってきます。社会は刻々と変化しています。今この瞬間も変化していますが、それに気づいている人、何も感じない人、問題にする人、問題にしない人と様々です。その人の気持ち(意識)が人生をつくります。
私は、自分の信じる道を、疑うことなく歩んできました。しかし、このような生き方しかできなかったのも事実です。人それぞれに人生と言う道があります。
社会が不安定なだけに、つながりを求めている人は多いものです。しかし、上手く繋がることができずに苦しんでいたり、あきらめてひとりぼっちで暮らしている方も多くいます。人それぞれですが、この人それぞれと切り捨ててしまうのも寂しいものです。
2012年とは間もなくお別れですが、2013年と出会います。どんな時間が持てるでしょうか。黙っていても、何もしなくても時は過ぎます。自分の選択が人生をつくります。年末、気ぜわしい時ですが、環境に惑わされることなく、新年を迎えましょう。
今年1年活動を共にしていただき心から感謝しております。来年は今年以上に充実した生活が送れたと思える生き方をしたいと思います。
「人を大切に」「自分を大切に」「与えられた時間を大切に」”生き儲け”ができる活動を共に歩んで行けたら幸いです。みなさん良いお年を。

今が大事 2012年11月

カレンダーもあと2枚になりました。1年があっと言う間に過ぎて行きます。歌の文句ではありませんが、「時間よ止まれ」と思うことがよくあります。時間に対する感じって、勝手なもので、嫌なことだと感じていると、時間の経つのが遅く「早く終わらないかなあ」と思いますが、反対に「楽しいこと、集中していること」は、時間の経つのが早く感じます。
1年が短く感じるのは、充実しているからか、することがいっぱいあるからか、年のせいか、またまた、世の中の流れに流されているからでしょうか? 1日1日がすぐ終わる感じが私はします。この時の流れの速さは、他方面でも感じます。オバマ大統領が、大統領に当選したのが4年前です。熱狂的な支援があり、流行語にもなった「change」あるいは、「Yes,Ican」などの言葉は今は遠い昔です。今回の大統領選挙では、まったく異なった様相でした。日本も同じで、民主党政権になって、日本は変ると思った人は多かった時から3年以上が過ぎましたが、これも「あれはなんだったんだろう」と思うような現状です。熱い民主党への思いは、失せてしまいました。また、「ものづくりの日本」として、電化製品や自動車をはじめとする「Made in Japan」の製品は世界に信用され、日本を引っ張ってきた産業でしたが、今やどの会社も軒並み赤字です。

「栄枯盛衰」(繁栄がいつまでも続くことはなく、いずれは衰える)という言葉がありますが、これは、自然の摂理ですね。だから、私達は、常に日々改善し新しくしていく必要があるのでしょう。人間も若くはつらつとしていた時代から、年を重ね、ゆっくり老いていきます。この自然の流れの中で、どのように充実した人生を送るかは、一人ひとりの思い方、考え方によることが大です。
先日テレビでソニーの社長が、ソニーを立て直す鍵は、社員一人ひとりの意識だと言っていました。社員一人ひとりが現状をどのように認識し、どのように考え、現状から未来に「何を信じ」、「何を大事に」、「何を望むか」で、ゴールする道が異なります。
そのためには、今の自分の置かれた状況をまず把握することです。ありのままの自分を捉えることです。言葉にすると簡単ですが、現実は日々動いていますので、今の自分を捉えることは難しいようです。そのためには勇気が必要です。その勇気とは、何か。それは、ストップする勇気です。一度立ち止まり、良く見ることです。
しかし、日々の生活に流されていると、この止める勇気が損なわれます。過去の繁栄が今です。過去行ってきたことが今、現実となって現れています。そして、今行っていることが未来につながっていきます。
こんな質問をしてみてください。「10年後の自分が今の自分に言いたいことは何ですか?」「10年後の自分が今の自分にお願いしたいことはどんなことですか?」
「10年後の自分がこれだけは、やっておいてねと言うとしたら、どんな事を今の自分に言いますか?」どんな答えが自分の心に湧きましたか。
今の自分が未来につながっています。だから、今が大事です。今を生きることの大事さを味わいながら、この11月を過ごしたいと思います。

一人ひとりの思いや考え、気持ちが社会に反映する  2012年10月

秋に入り、日が暮れるのが早く、ちょっと憂鬱な気分になります。
季節の移り目は病気にもなりやすいものです。社会全体を見渡すと暗い話題が多い日
本です。子供のころから経済成長をする日本と共に生きて来た私は、大学を卒業する
時に初めてオイルショックから不況に入ったと言われる時を過ごしました。
しかし、不況と言っても一時的なことと、誰も心配する様は日本人の中では見られま
せんでした。(強いて言えば、トイレットペーパーがなくなる、洗剤がなくなると言
って、買いあさったことはありましたが、それも後で一部の人間が隠したことで、あ
る倉庫から大量に出て来たことがありました。)
そして、また景気がよくなり、バブルと言われても実感することなく海外旅行に行き
ブランド品を買いあさる日本人が批判されることもありました。「エコノミックアニ
マル」とも言われました。

しかし、今はそれも遠い昔の話です。家電メーカ各社の赤字損益を見ると、時代の大
きな変化を感じます。日本人は、第2次世界大戦後、素晴らしい復興を遂げ、アメリ
カにつぐ経済大国として、長く過ごしてきましたが、中国・韓国の経済発展に追い抜
かれました。
しかし、追い抜かれたからと言って何が問題なのでしょうか。10年、20年前の経済状
況よりはるかに厳しい現状ですが、急に厳しくなったわけではなく徐々に厳しくなっ
たものです。私達はこの厳しい現状に慣れてきたのでしょうか。ある人は日本は今経
済危機だと言います。政治が何も決められず前へ進まない現状。それでも私達は生活
しています。特例公債法案が成立しないと、地方自治体の財政は枯渇し、銀行から借
金をしなければならない状態に陥っています。政治家達は、自分の生活を考え、選挙
で落選しないように必死です。

日本に住んでいる以上この国のルールがあります。
老人になった時に、年金をあてに、積み立ててきて、65歳になると、なにがしかのお
金が支払われることを約束し、国を信じて年金を若い時から支払い続けてきました。
その約束を守らず(守れなくなったとも言えますが)、その時の状況で変更するのが
政治なのでしょう。(それだけ当てにならないともいえますが。)
ルールを守る。約束を守る。こんなこと、当たり前のことと思ってきましたが、思え
ない社会状況になっていることは、恐ろしいことです。
人は環境から影響を受けます。変だと思うことでも多くの人が毎日行えばそれが普通
です。
3.11の震災の時は、多くの人が支援をすることに熱くなりましたが今はどうでし
ょう。なにか段々、心が離れて行く感じがします。
増して、復興予算まで震災復興と直接関係ないところに使われていたりと、この国の
今の在り方の一部が垣間見られる状況です。
日本を構成しているのは日本人一人ひとりです。私達一人ひとりの思いや考え、気持
ちが社会に反映することを忘れないで過ごしたいものです。

部分を見て全体を見渡せる柔軟性を 2012年8月

暑い暑い7月の末でした。8月に入り、本来の気温に戻った札幌です。
今テレビはオリンピック一色です。どのチャンネルもオリンピック、オリンピック。
世の中は日々動いています。オリンピックがなければ、通常、世の中の出来事を放送しています。しかし、このオリンピック期間中は一日中オリンピック放送が主流です。若い時はオリンピックの日本人選手の活躍に一喜一憂しましたが、今は、どのチャンネルでもオリンピック放送をしていることに恐怖感を感じます。

4年間、選手たちは、精進に精進を重ねオリンピックを目指してきました。それは、尊いことです。しかし、世の中はオリンピックだけやっている訳ではありません。様々な出来事が世界中で起きています。
しかし、国民の目は、オリンピックへ誘導しているかのような放送です。選手のアスリートとしての誇りを持ち厳しいトレーニングに耐えて、金メダルを目指している姿は感動を呼びます。日本人の中には、にわか○○ファンになる方もいます。
選手もメダルを取ると、一転してもてはやされます。勝つことが強調されます。ただ良いのはメジャーなスポーツだけではなく勝つと、マイナー競技にも光が当たることです。
オリンピック期間中で言えばアーチェリー女子団体で銅メダルを取ったことでしょうか。また、バトミントンもメダル確定したので取り扱いが大きくなることでしょう。

オリンピックだけでなく、世の中には、「光の多く当たるものや事柄」と「光の余りあたらないものや事柄」があります。光が当たれば当たるだけ多くの人が知り、脚光を浴びますが、有名人だと自由に行動もできにくくなります。反対に「もっと世の中の人が知っておいてほしいことや事柄」には光が当たらず闇に消えることも多くあります。私達は、テレビ報道から知ることがいっぱいあります。そして、それを見たかのように信じ蓄積し、知っているかのように生きています。

世の中はオリンピックだけではありません。原発の問題・被災地の復興の問題・暑さ対策と節電の問題・介護・年金問題・景気回復の問題など今の日本には問題は山積しています。政治が動かなければ、どうにもなりません。このオリンピック期間中は政治家は何をしているのでしょうか?
私は戦争を知りませんが、マスコミが、ある一定の方向を向いてしまうと情報は、偏ったものになり、幅広い情報が入って来なくなることがよくわかります。第2次世界大戦の時その当時の政府がマスコミ誘導をし、国民は真実を知らされないまま戦争へと突入していきました。

4年に一度のオリンピックだから、価値のあるスポーツの祭典ですが、そんなに多くの国民がオリンピックに関心があるのでしょうか?テレビ報道が数多く行うから関心を持つことはあるでしょう。社会がある一点に集中してしまう怖さ。「全体を見て部分を見る」、「部分を見て全体を見渡せるように柔軟にものごとを捉える目」が今の社会には必要に思います。
オリンピックが始まってから、テレビ報道に何か悶々としてしまう私。それだけ情報源がテレビをはじめとするマスコミにあったことだけは自覚した私でした。みなさんは今のテレビをはじめとするマスコミ報道をどのようにお考えですか。

この世に生きて良かったと思える人生を 2012年6月

6月に入りました。夏に一歩一歩近づいています。今年は北海道も節電が呼び掛けられています。泊原発が停止していますので、頭では今まで動いていた、発電所が停止したのですから電力不足になることは、分かります。しかし、残念ながら電力不足になって、生活に支障をきたした体験もなく実感できないのは私だけではないでしょう。
特に北海道の場合、夏に冷房のことで困る可能性は比較的低く、「せいぜい5日か6日、暑くて困るぐらい」と軽く考える人もいます。ところが、それが冬だったらどうでしょう。電力不足から暖房に影響が出るとなったら事は、深刻です。みんな自分の生活に電力不足が大きな影響を受けるとなれば、はじめて自分の問題になります。
原発の問題、電力不足、年金問題、為替レートの問題(円高、ドル安、ユーロ安)など、自分に直結した問題になれば、事を重大に考えます。

今この地球上で起きている問題は、グローバル化した社会では、時間差はあっても必ずと言っていいほど、私達一人ひとりに何らかの形で影響をもたらします。地球の温暖化による異常気象、ヨーロッパやアメリカの経済不安が日本の経済に、影響する現実、テロ問題、先進国の格差社会など数多くあげられます。一見影響していないように思えることが気づかないうちに私達の生活に影響を及ぼします。
ちょっと自分の家を見ても、昔は日本の家屋は畳の部屋が大半でした。今は、畳の部屋はほとんどなく、あっても一部屋ぐらいです。そのため、座って食事することもなくテーブルで椅子の生活です。昔は大家族で食事も一緒でしたが、今は家族の単位も小さくなり、一人で食事をする機会も多くなってきました。
日本の社会は村社会で人のつながりが強い社会でしたが、個人主義的な考え方が広がり、一人ひとり、犯罪さい起こさなければ自由に行動できる社会です。子供も個室を持つようになり、一人一台のテレビがあり、携帯電話や音楽プレイヤーなど人と共有するのではなく自分専用になりました。
一方、自分中心の生活は、人間関係の希薄さを生み、お互いに助け合う気持ち、支え合う気持ちを低下させ、自分さえ良ければと言う考え方が蔓延しつつあります。
高齢化社会に進んでいる私達の生活。先日お墓も、身内のいない人も多くなったので、
友達同志でお墓に入る人もいるような時代になったとの記事がありました。一緒に友達同士で入れる仲になれる友人を多く持つ方が、家族でお墓に入るより良いと言う人が増えて来るかもしれません。
人間の意識は変化します。その結果、社会も刻々と変化します。その変化のある社会の中で、自分が選択できる視点を持ち、自分らしく、何かお役に立ちながら、人との関係豊かに、そしてこの世に生きて良かったと思える人生を送りたいものです。そのためにも、日々の生活で自分がしていることが非常時に機能することも忘れずにいたいものです。

当事者意識を持つ 2012年5月

ゴールデンウィークも終わり、生活が動きだした感があります。
しかし、連日気ぜわしい問題がマスコミをにぎわし、特にこの夏の電力は、どうなるか、また竜巻で茨城県、栃木県では被災する人が出たり、紋別では、季節外れの雪が降ったり、また中山峠付近での土砂崩れによる通行止めで観光業者は観光客が集まらず困っています。

政治は、政権政党の民主党も小沢氏の問題や消費税増税の問題でまとまらず、他の野
党もそれぞれの思惑で動き、誰のための政治なのか分からない状態です。それに関連して、東北の復興計画もこの先のビジョンもままならず、被災地の生活は大変苦しい状態が続いています。

このように、今の日本には、問題が山積していますが、リーダーのもとに協力し合い、解決するビジョンも行動もありません。それぞれが自分たちの考えのもと、バラバラに動き、その結果方向性もこの先のビジョンもでてきません。

このまま時が過ぎ、弱いところにしわ寄せが行き、社会的にひずみが大きくなっていきます。そのような中で私達は、自分の生活の中で何ができるのでしょうか。否定的なことを上げたら切りがありません。一人の日本人として、一人の道民として、一人の札幌の市民として何が今できるのでしょうか。

3月に岩手県、4月には、宮城県の被災地に行き現地の方々とお話をしてきました。私個人ができることは何かを考え、行動してみました。個人の力では、どうすることもできないと嘆くより、現地の方と話をして笑える時間が持てるだけでも私のできることとして行動してみました。

仮設住宅ひとつとっても、急いで作り、先のことは考えていませんので、買い物もできない。車も停められないような狭い所に住宅があり、移動販売だけが頼りという方も大勢います。中には雨漏りや、結露で湿気が多くて苦しんでいる方もいます。

宮城県の雄勝町では、いまだに流された家屋の上に後から流された家屋がのった家が放置されたままでした。小さい町の瓦礫の処理は、いまだに手つかずです。一人ではどうにもできない、虚しさも感じます。しかし、その虚しい世界にはまってしまっては行動はできません。

私達は、被災してません。被災者の気持ちを理解することは難しいことですが、心を寄せることはできます。自分一人でもできること。仲間と一緒にできることを少しでも行い、被災地の方々の応援ができたらと思います。岩手県や宮城県の被災地に旅行に行くのも応援です。是非皆さんも被災地に足を運んでください。

連休中に泊村の原発を見てきました。原発の問題を現地に行ってみれば考える視点が得られるのではないかと思い出かけてみました。泊原発には一般人は近づけないようです。原発については、「とまりん館」というところに行くと原発について、いかに安全か分かりやすく説明してくれます。その説明や展示品を見ると原発は安全のような気になります。

確かに原発の機械は安全装置が何重にしてありますから性能はかなり良いものだと私も思います。しかし、今問題にしているのは、地震であり津波です。原発の多くは海の側に立てられています。泊原発も海のそばに建てられています。今問題にしている地震や津波に対してどのようにするか、対策についてはいまだに考えられていません。

原発が地震や津波に対することを想定して作られていないことを泊原発に限って見ても言えます。確かに今原発が止まったら困る人がたくさんいます。財政的にやっていけない町や村があることも事実です。それだけに、これからの電力エネルギーをどのようにするかのビジョンが求められます。しかし、目先の問題が大きくて考えられなくなっているのが今の日本の現状でしょう。

困った時に知恵を働かせて乗り切る力を私達は持っています。今こそ大きな日本の問題を今次レベルでも自分の問題として考える時です。そして、家庭でも、知り合いや友人との会話の中でも日本が抱えている問題を話題にして考えることは大切なことだと思います。
全て自分に返ってくる問題ばかりです。他人事にしないで自分の問題として捉える、当事者意識を持つことを心に留めておきたいものです。

人間の節目・・・大事なこと 2012年4月

一年に何回か気持ちを新たにする時があります。お正月、自分の誕生日、そして年度の初めの4月です。一つの区切りです。私の友人の中には定年をこの3月に迎え、第2の人生を始めた人が何人かいます。この友人達と話していると、どんな会社に所属してどんな仕事をしてきたかで、この定年を迎える迎え方が大きな違いがあります。自分の技術で勝負してきた友人、営業一本でサラリーマン生活に別れを告げた友人。会社をいくつか変り、様々な職種に就いた友人。私のように好きなことをさせてもらって生きてきた人間。生き方や環境によって、同じような環境や子供時代を過ごしても大きく様変わり。「そんなこと当たり前ではないか」と多くの人はいいますが、この当たり前が実感になるのは、現実になった時です。なぜなら、私達は初めて定年の年60歳を迎えたのですから。
植木等の歌の文句に「わかっちゃいるけど、やめられない」という一節がありますが、頭で知っていても、心で実感することは直面しないと分からないものです。この頃私は、初めて○○になったので」という言葉をよく使います。

初めてその立場、その現実を実感して心にしみることがあります。
先日、岩手の被災地に行って、思いました。テレビや新聞、雑誌で見て知ったことは、現実とは違います。その場で現地の方と一緒に現実に直面しなければ分からないことが数多くあります。しかし、残念なことに私も被災地の方から見れば、よそ者です。そこで暮らしていませんので、理解できることはほとんどないといってよいでしょう。

今老人の入り口に初めって立ち、人としてこの日本でできることは何かと考える時があります。しかし、そう考えると大きすぎて大したことはできないと自分に無力感さえ感じます。そこで、ちょっと視点を変えて、今できることに焦点を当てて、考えてみると、できることが見えてきます。その見えてきたものに、自分が価値を持って見れるかです。

ふれあいグループも24年目に入ります。この23年間、ふれあいグループは、1度も休んだことはありません。私は3回休みましたが、参加者のみなさんがつないでくださいました。10人前後の小さなグループです。のべ人数にすると2500人を越える人数でしょうか。その間に行ってきたエクササイズの数も大変なものです。その1回1回のふれあいグループに価値を見出すのは参加者の方であり、私です。その価値がなければ続きません。10年目に1度辞めようかと思ったことがあります。その時は、みなさんの支持があ
り乗り越えました。今は皆さんのご支持がある限り続けて行きたいと考えるようになりました。
人間の節目。これは大事なことです。年度初めであれ、お正月であれ、誕生日であれ、区切りをつけて再スタートする気持ちの切り替えは、人生を新鮮なものにする一つの視点だと思います。そんな気持ちで24年目のふれあいグループを行って行きたいと思います。


災い転じて福となす  2011年8月

月に入り夏、本番を迎えています。今の日本は、震災や水害で苦しんでいる人や地域のこと、原発事故のこと、円高で輸出関連の企業の苦しみ、世界同時株安での経済が不安定な状態です。しかし、それは、変るチャンスでもあります。今までのようにすることができなくなっている現実に変化を持たすチャンスです。

人は、自分にとって不都合なことが起きた時、マイナスにものごとを捉えがちです。震災は以前にもありました。東北地方の津波も以前にもありました。しかし、頻繁に起きるものではなく、いつの間にか自然の脅威を忘れたかのように沿岸に家が建ち、仕事をしてきました。そして、未曽有の大震災。今また、この自然の巨大な力に、私達の生活を再度真剣に考える時を迎えました。

この日本列島で絶対に安全な場所はないと言われています。また、復旧、復興を考える上で、将来のビジョンを明確に持ち、今回の体験を後世に伝え、震災からの教訓を活かした復興を目指さなければなりません。この復興の中心である政治は、政治家や政党の思惑が前面に出て、被災した方々や被害を受けた人の方を見ているかのように言いつつ自分たちの利害でものごとを捉え、いまだに未解決の問題が山のように残っています。そのため、将来像も見えず、時だけが過ぎてゆきます。

原発事故も同様です。放射線の問題で福島の人の生活は大変なことになっています。また、これに関連して風評被害を受けた方の数は数えきれません。先日も牛を育て、出荷しようとしていた矢先に出荷停止になった酪農家の方々の苦しみや悔しさが放送されていましたが、原発と関係のなく生活していて、何の落ち度がなくても生活そのものまで破壊してしまう原発事故。これは、私達一人ひとりが自分の問題として考えなければなりません。

また、今回のことから、一見、自分には関係のないと思われることであっても人は何
らかの繋がりで生活している以上、関係ないことはなく私達一人ひとりに影響がある
ことを私達は今回思い知りました。どんなに自分に非がなく、甚大な被害を受けてもすぐに現状回復することはなく、基本的には、自分で解決していかなければならないことを多くのケースから学びました。それだけに、人とのつながりは大きく、誰かに何かをしてもらおうと思うのではなく、周りの人と協力して解決する行動を起こすことの大切さを実感しました。

「災い転じて福となす」という言葉があります。この災いを私達の知恵を働かして福としましょう。

今を大切に、今できることを、楽しみながらプロセスを大事に生きる 2011年7月

7月に入りました。今年は、3月11日までの日本とその後の日本は大きく様変わりをしました。マスコミは暑さと節電について連日報じています。自然災害は、長年かけて築き上げた人間の生活を一瞬で奪ってしまいました。そして、これは実に残酷で悲しく、災害にあった人の心から消えることはないでしょう。
しかし、そんな厳しく残酷な災害も、被災した当事者と被災しなかった人とでは、どんなに被災した人々を思っても、私達被災していない人間にはそのお気持ちは理解することは難しいものがあります。それだけに、最初は義援金や義援物資を送り、せめてもの気持ちを送らせてもらいましたが、そのお金も物資もどこへ行き、誰の手に渡ったか分からず、今日にいたっています。想像ですが、誰かの役に立ったと思うしかありません。

どんなものごとも、当事者出なければ分かりません。政治家の怠慢がよく話題になります。そして、国の支援・復興策も総理大臣が辞任しないため決めることもできないと、ただ騒いでいます。自然災害ですので政治力を使って事に対応して欲しいと思うのは当然のことだと思いますが、この国を当てにしている時間はもったないものがあります。マスコミも政治家もこれは大変なことになると言いますが当事者ではありません。

「人の痛みを知り思いやりの心は大切だ」と日本人の多くは教えられ、実践してきた人が多い中、政治家の心は乾いているのでしょうか動きません。日本では、自分に起きたことは自分で解決して行くしかないのでしょうね。誰に頼り、誰かに困っているのだから助けて欲しいと言ってもなかなか助けてもらえないことが多いことを心に留めて生きることが大事なのかと思わざるをえません。現地には今もボランティアの方が入り、泥の撤去や虫の駆除、お掃除など、手でできる仕事を一生懸命され、現地の方に喜んでもらっている方も大勢います。しかし、その数はごくごく限られた数です。今の政治だと長い時間がかかります。

私も数人ですが、被災してこられた方の精神的サポートをさせてもらっていますが、その悲しみや苦しさをひしひしと感じますが、感じれば感じるほど無力感も感じます。今は精神的サポートをしていますが、不足しているものがあれば、可能な限り差し上げるようにしています。被災してこちらに来られた方も助かるかもしれませんが、私も何か支援や援助をした気持ちになるの、目に見えるものを差し上げた時です。精神的なことは目に見えません。何か前より明るくなった感じですが確かではありません。そして、そんな浅い心の傷でもありません。10年、20年と長い長いサポートが必要です。被災してから時間が経つにつれ、サポートする人も減ってくることでしょう。

私は今回の震災から、どんな状況であっても自分でできることは自分でするしか仕方がない。それでも救われないこと、苦しいことを受け入れる力が必要と強く感じます。人の気持ちを当てにすることは人生のハンドルを人に渡すことです。自分の人生のハンドルはどんなに苦しくても自分で持っていることが大切なことです。その時にいつも思い出す言葉があります。

※ 私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
  私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
  そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
  もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
  出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。

<國分久子 訳>
もし私が、私のことをして、あなたが、あなたのことをするだけなら
お互いの絆も 自分自身も 失うこと 明白である。
もし私が、私のことをして、あなたが、あなたのことをするだけなら
お互いの絆も 自分自身も 失うこと 明白である。
私が、この世に存在するのは、あなたの 期待に そうためではない。
しかし、私が この世に存在するのは、あなたが、かけがえのない存在であることを確認するためである。
そして、私も かけがえのない存在としてあなたに 確認してもらうためである。
お互いにふれあいがある時のみ、われわれは、完全に自分自身になれる。
私が、あなたとの 絆を失えば、自己喪失も同然である。
私が あなたと 心が ふれあうのは偶然ではない。
積極的に求めるから、あなたとの 心のふれあいが 生まれるのである。
受身的に事の流れに身をまかせるからではなく意図的に 求めるから、心のふれあいができるのである。

これは、ゲシタルトの祈りと言います。パールズが作ったゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩です。原型の詩は※の通りですが、國分久子先生が訳した詩の方が好きなので私の心の中には久子先生の詩が浮かびます。
一見冷たい感じに聞こえるかもしれませんが、寂しさ、あるいは生きる厳しさがあるから人との”ふれあい”や絆が大切なのであって、人にあるいは何かにすがって生きることではないことを意味していると私は思います。
過去にとらわれず、今ここに存在している自分に気づき、今自分はなにをしているかに気づくことに焦点を当てったパールズの思想は、今私達が置かれた状況を見つめる視点として活用できるように思います。

これからの私達の生活環境は電力一つとっても変わらざるを得ません。人生は、いつも同じではありません。そのためには状況を考え新しい発想を持てる自分づくりが必要です。今を大切に、今できることを、楽しみながらプロセスを大事に生きる自分でありたいと私は思います。

一日一日の積み重ねが将来へ繋がる 2011年5月

60歳になりました。老人の入り口にいます。WHOの老人の定義は65歳から老人と呼ぶそうです。昔は、還暦で、60歳が老人の目安でしたが、いまでは中途半端な年齢で年金も支給されません。しかし、何歳になっても自分の置かれた位置はしっかり自覚したいものです。

今の社会は、若いことに価値があります。どんなものでも少ないものに価値があります。高齢化社会を迎え、社会保障費が増大し、生産性の低い老人が社会の発展に足を引っ張るイメージが少しずつ強くなっているように感じます。社会保険庁の年金管理がずさんだったために、いまだに年金問題は、大きな社会問題になっています。

昔は、長い間、社会に貢献し、家族のために働いた老人を社会や家族(子供)が感謝の意味も込めてお世話をしました。しかし、現代は老人のお世話は社会制度の中に組み込まれ家族とりわけ子供が面倒を見るという時代は終わり、社会全体で老人を見て行こうという社会になりました。人それぞれ、環境が異なります。若い時から現在までの収入も人それぞれです。その中で一人一人が老人となって生活していく上でみんなが同じというわけにはいきません。

一日一日の積み重ねが将来へと繋がっています。そして、私も60歳となり、この積み重ねの頂点にたってみると自分の今までの道筋と、今の自分、そしてこれから自分が向う方向がはっきり見えてきました。頭では人生はいつまでもあると思っていませんでしたが、60歳なり、先の期限もはっきり見え、ますます、一日一日を大事にそして、自分を活かして生きて行こうという思いが強くなってきました。そのためにも健康を第一に、少しでも人様のお役に立てる人間でありたいと思います。それが、自分を生かすことであり、幸せなことだと強く思います。長いことグループ活動やカウンセリングをしてきました。そして今は、コーチングも加わり、今やりもワンランクアップを目指して活動することを念頭においています。

ふれあいグループも24年目に入りました。多くの方に参加していただき続けてきました。自分の普段の生活をふりかえり、また新たな自分を発見し、今後の方向性を見出す場がふれあいグループだったように思います。小さいながらも、確かな歩みをふれあいグループを通して参加してくださる皆さんと過ごせたらと思います。

震災から問われていること  2011年4月

3月11日に震災があり、それ以来日本が変わってしまいました。連日、テレビ、新聞では被災地の状況や原発事故問題が報道されています。どうしても気になるのでテレビを見て、日々大変さが伝わりその報道に接していると気持ちが落ちる私です。

天災は忘れたころにやってくると言う言葉がります。地震国日本ですので私達は忘れてはいませんでしたが、どんなに地震予知ができる時代であっても、多くの人にとっては突然の出来事です。家もなく、家族も亡くなったり、行方不明の状態の人もいます。それに追い打ちをかけるかのように、仕事場もなくなり、失業しこの先が見えない人も多くいる現状です。私達は物質的には豊かに便利に過ごしてきました。「住むところがない」「食べ物がない」「水がない」「ガソリンが買えない」「お風呂にも入れない」そんな生活体験をしたことがありません。日本でそのような状態になるとは考えてみたこともありません。国際援助とは、日本がすることだと思っていました。しかし、今は援助を受ける国になりました。そして、この先の国の構造まで変ろうとしている日本です。「もう今まで通りに暮らすことはできないんだよ!今の現状を踏まえて、どのように過ごしていくか一人ひとり考えなさい」と言われているように感じます。

人生、起きたことを踏まえて、どのように生活するか、常に問われていると思います。私達は震災は受けていませんが、震災から問われていることはいっぱいあります。東北地方が被災したことで、東北特産の魚介類や野菜はしばらく口にできません。その他鹿島コンビナートで作っている工業製品(ガラス・サッシ・ゴム製品・ペットボトルのキャップ等など)など生活必需品が手に入りにくくなっています。また、そこで被災したか方々の救援も私達はしなければなりません。

当然国力は低下します。税収も落ちます。信頼されるまで外国からの観光客の減少は続くでしょう。あげると先行き不安材料ばかりですが、この現実から学び活かしてゆくことが私達一人ひとり問われています。今回の震災で大きな痛手を負ったことで日本は大きくいい意味で変ったと言えるように私達も過ごし、被災したか方々を長く応援していきましょう。                             

今、社会の変革期に    2011年3月

日々刻々と変化する社会。中東各国の民主化の動きから石油の値上げが起き、それと連動して、「もの」の値段が4月から値上げ。新興国の”もの”の需要も多くなり、今までの価値観では生活しにくい社会になりつつあります。まさに、変革期を迎えています。

考えてみれば、私達人間は、常に変革期を迎えています。今までできたことができなくなったり、逆にできないことができるようになったり、あるいは、健康だと思っていても身体に病魔が襲ってきたり、変化に焦点をあてたら、特にマイナス面に焦点を当てたら不安になことばかりです。しかし、マイナス面があると言うことはプラス面もあります。

先日こんな言葉に気づきました。「危機」と言う言葉です。”悪い結果が予測される危険な時、または状況。あやうい状態”のことです。危機は、「危」うと言う字と機会の「機」と書いてあります。すなわち、危機は、危ないこと、危険なこと。反対は、事をなす良い機会があるとも読めます。すなわちチャンスでもあるのです。

どこに光を当てて見るかで人の行動は変ります。年齢を重ねて行くたびに老化現象があらわれてきます。それは自然なことです。その自然なことに逆らうのではなく、その自然なことを受け入れる力が長く生きてきた人間に備わっていると思います。巷では老人に関する本が売れていると言われています。「老人の才覚」「人生の終いじたく」「老年の品格」「おひとり様の老後」と数多くあります。それが、老人だけではなく40代・50代にも読まれていると言うのです。一見暗いイメージに見えますが、生き方の指針にいているようです。どの人も変化し、老人を迎えますが、自然の変化を受けい入れる力はこれからも養いたいものです。

社会も変化し、連動して人の気持ちも変化します。形があるものは壊れます。しかし、そこから新しいものが生まれてきます。それを私達は見ること、感じること、信じることができるか、できないかで人生は大きく変わってきます。変るものは変るのが自然。変えなければならないことは人間の意思で変えることです。そして、私達が大事にしていることは、価値あるものとして大切にして暮らすことです。

私は、自由であることを大切に生きたいと思います。思想の自由、経済の自由、健康の自由、行動の自由、そして、人間関係の自由。自由も常に変化し、関係も変化する社会です。親にお金の迷惑がかかるからインターネットを使って京大に合格しようとした学生。親が亡くなった後も年金で暮らそうとする子供。就職活動をしても仕事が決まらない学生。働きたいのに職がない人。結婚をしたくても年収が低くて結婚ができない若者。どれも暗いことばかりですが、ここにチャンスの光を見出せるものがきっとあるのでしょう。「ただ気がついていないだけなのだ」と思いたいものです。

インターネットを使った呼びかけも変革の嵐を吹かしています。このインターネットは、民衆が自由に考え行動されたら困る国の指導者には、やっかなものになっています。
だから民衆に自由にものを考えられたら困る指導者は、躍起になって規制をかけています。しかし、それを力で止め続けることはできないでしょう。それは、歴史をみれば良く分かります。時代、時代にあった社会がこれからも出来上がっていくことでしょう。

その流れを感じながら、今年60歳になろうとしている私はどこへ向うのでしょうか?楽しみながら歩んでいきたいと思います。

人を認め合いながら生活できる人間関係を 2011年2月

今大相撲の八百長問題が話題になっています。長い大相撲の中で以前から言われていた八百長問題に動かなぬ証拠が出てしまい、八百長を認めざるを得ない状況になってしまいました。十両と幕下の格差が大きく互助会的な関係の中で相撲が一部の力士の中で行われていたことになります。

十両(関取)からは100万円以上の給料が入り個室が与えられ、付け人がいて、身の回りの世話をしてもらえる待遇です。幕下から序の口までは、給料は無く若干の手当てだけで大部屋ですごさなければなりません。昔なら歯を食いしばって、早く一人前になるために稽古に励んだのでしょうが、時代は変り、ハングリー精神も薄らいでしまったのでしょうか? 仲間内で助け合いながら、自分達の番付けと自分達の地位、そして、収入を守って不正を働きながら力士生活を送っていたことになります。助け合うことは、世の中では良いことと言われますが、真剣勝負の世界には通りません。

どんな職業であってもそこに自ずとモラルとルールがあります。そのルールを破りモラルも犯し、自分達だけの利益を考え行動した時に、私達は望む方向には進めなくなります。今回の八百長発覚で八百長をしていた力士は相撲界にはいられないでしょう。そして、社会的地位を得ることも難しく、また応援していた人達に落胆を与えることになってしまいました。

現代のコーチングの生みの親と言っても過言ではないトーマスレナードは、「自分本位」を強調した人でした。「自分がやりたいことをしたいと思うなら自分を大切にし、同じように他者(ひと)を大切にすることだ」と言っています。ルールやモラルを犯すことは、自分を粗末にし、同時に他者を粗末にすることになってしまいます。この先どのような展開になるか分かりませんが、一部の人間の心ない行動が、とうとう相撲界存続の危機まで来てしましました。このような状況は突然にはきません。

そこに至る伏線は以前からありました。週刊誌に書かれ、裁判にもなった大相撲の八百長問題。裁判は全て大相撲側(日本相撲協会や関係者)勝訴で終わっていますが、自分達がなぜ、訴えられるのか検証はあっても良かったと思います。平和時に行っていることが非常時に役立ちます。火のないところには煙はたちません。正しい、間違いで片づけられない問題は数多くあります。目の前に起きた問題を一つのメッセージとして捉える力は個人レベルでも養いたいものです。

 話は変りますが、今日本は、この先どのような方向に進むのか不透明です。そして、生活に不安を抱えている人が増大しています。そんな状況の中で、先日の予算委員会で、野党は政府与党を否定し責め立てる。それに政府は反論する。この繰り返しで何ひとつ議論は深まらず時が過ぎてゆきます。意見の違い、政治手法の違いはあります。
対人関係で言えば、価値観や考え方には相違があるのは当たり前のことです。その違いを認め合いその中でAでもBでもないC案を相互に尊重し合ってつくれるかです。

今日本の政治状況は、協力して、現状を打破する時に、お互いを非難しあっても前には進みません。衆参がねじれ状態にあり、与党野党に思惑があり、誰のための政治か忘れ、自分達の党利党略に走り本筋を忘れ、時を逸しているように私には見えます。しかし、こんなことは個人レベルでもあるのではないでしょうか?自分の主張のみ行い相手の考えや思いには目をむけない態度。生まれてくるものは否定であり、時には力のある方が弱い方をねじ伏せて、言うこと聞かせるようとする動きになることもしばしばあります。相互否定をしないためには、自分だけは相手を否定せず自分に焦点をあて、自分の進む方向性を明確にして歩むことが大切だと私は思います。

お互い、分かってほしいのに相互に否定しあってしまうことがよくあります。相互否定からは否定しか生まれてきません。そして、その流れからは、悪感情しか生まれてきません。まず、否定しあうその現状を止めて、一歩下がって自分に焦点を当てて考えてみる事が大切です。否定している相手に焦点を当てると否定している相手だけに悪感情が湧きあがってきます。

今の政治を見ていると、自分のことは棚に上げ相手の欠点だけに焦点が当たり、相手を否定することに終始しているように思います。どんな状態でも相手を認め、考えの相違を明確にして、それぞれが道を決めて行くことが重要だと考えます。時には相いれないことはあるでしょう。そんな時は少し離れてそれぞれ独自の動きをし、また縁があればその時に協力できることを一緒にするぐらいのスタンスは持ちたいと思います。そうでなければ、閉塞感に襲われ前進することは難しくなり、気力も落ち、”ものごと”どうでもよくなることがあります。

混沌とする社会の中で自分なりのビジョンを持ちながら生活をするために、今の自分をしっかり見つめ、人を認め合いながら生活できる人間関係をつくりたいと心から願う私です。

人の気持ちが通いあえる社会に 2011年1月

2011年がスタートして1週間がたちました。みなさんはどんなお正月をすごされたでしょうか。「今年1年どんな計画を持っていますか。」と聞かれ「はい、私の計画は○○です。」と具体的に言える人もいるでしょうが、多くは「う~ん」と考えてしまう人も多いのではないでしょうか。

お正月深夜に、ハーバード大学の公開授業をNHK教育テレビでしていました。授業で質問されたことに答えて行く学生を見ていると肯定的な発言であれ、否定的な発言であれ、思っていること、考えていることを正直に伝えることから学びは深くなるものだとつくづく思いました。

私達は、コーチングやカウンセリング、グループ活動を通して出会いました。これらは、「何のために存在し、何のために私達は学ぶのか」と考えてみれば、できるだけ自分の人生に正直に向き合い、人と共に繋がり、人を通して学び、ロジャーズ流に言えば、「自分が自分になるプロセスを歩むこと」です。

だから、時には現実が厳しく思えることや、嫌だなと思うこと、反対に楽しく嬉しく思うことなど、これらもあることですが、自分が自分になるプロセスの中でいろいろなことが起きますが、その出来事をどのように受け止めるかで自分の人生は大きく変ります。

私達はその現実が苦しくなると距離をおくか、避けて直面しなくなるか、ものごとが先送りし、未完了なことを増やしてしまいます。それは今国レベルで起きています。日本は、世界に類を見ない借金大国です。しかし、私達はそれほど借金大国だと実感しません。

ネットを見ると日本国借金時計というサイトがあり、借金がどんどん増えています。今日現在862兆円です。国民一人当たりの負担額は2011年4月1日時点で683万1955円になります。しかし、これを言われてもなかなか実感できないのは私だけではないでしょう。

私も今年で60歳になります。年金受給時が近づいてきました。しかし、この先この年金もどのようになるか予想もつきません。またそんなこと心配してもはじまりません。それよりも今40代から下の人たちの生活がこのままいけば国が経済破たんしてしまう危険性は十分あります。

しかし、日々の生活に追われていればこの現状は見えません。ある人が「今の政治を動かしている人は逃げ切り世代の人たちです。」と言いました。自分たちが生きている間のことは考えるけれど、自分達の子供世代のことは考えていないと言うのです。子供達を愛しているならきちんとビジョンを持って今一度国の方向性を見据える必要な時が来ていることは間違いありません。

そのためには、まず個人レベルでの自分の方向性を見定めて、楽しみながら「自分のビジョン達成」に向かって歩んでいく時が今だと思います。今の自分に目をそらすことなく、今直面していることに正面から誠実に向き合う勇気が必要だと思います。この現実の中、自分が直面している現状を1mmでも前に進める力が私達日本人には必要です。

私も60歳を前に今一度自分の健康問題に取り組み、心身とも健康に、そして気持ち良く多くの人と繋がる人生を築きたいと思います。「人の出会いも一瞬」「人との縁も一瞬に切れてしまう」社会です。人の気持ちが通いあえる社会を私は今一度自分の周りからもう一度チャレンジしたいと思います。

本年も宮崎順一をよろしくお願いいたします。また、一緒に人生の学びにお付き合いください。そして、お互いに一緒に学べて良かったと言える1年にしましょう。

人とのご縁 2010年10月

 10月に入り、平年並みの気温になり何かほっとする感じがする今日この頃です。秋の研修シーズンで数多くの人と出会います。どんな縁で結ばれているかは分かりませんが、研修会場で出会い、学びのひと時を過ごして、多くの方とはお別れです。しかし、中には、そこからさらなる縁でつながり、今でも定期的にグループをしたり、コーチングやカウンセリングを通して話ができる人もいます。人生は、出会いと別れの繰り返しの中で形づくられます。

 人とのご縁は、本当に不思議なものです。そして、何かの計らいで人とつながり、そして、別れ、また出会う。この不思議な縁(えにし)。これは、人だけではありません。私は長い間カウンセリングに関わり今日まできました。何百人とカウンセリングをしたかわかりませんが、私が悩み、自分が楽になるために学び、カウンセリングを受けたことが、自分の一生の活動(仕事)になるとは思いもしませんでした。そして、今日多くの方とお会いできる礎になっています。自分のために学び、ただひたすら進んできたカウンセリングの道で「私と出会い、助かりました」と言って下さる方がいらっしゃることは、私の心の支えであり、喜びでもあります。

 コーチングを始める時も周りには誰もいませんでした。しかし今は、コーチングを通して出会った方も大変多くいます。本当にありがたいことです。私の活動(仕事)は、人に支えられて成り立つものばかりです。人がいてくださらなければできないことです。自分では計り知れないご縁を大切にこれからも活動して行く私です。 宮崎順一